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剣道みちしるべ
第14回 「術」から「道」へ
総務・広報編集小委員会(当時)
真砂 威
明治時代の末、剣術(撃剣)が学校教育に採り入れられ、徐々に一般国民の中に浸透していきます。そのような進展のなか、「剣術」から「剣道」へと名称変更がなされます。この経緯について詳しい内容をお知りになりたい方は、中村民雄氏著の『「今、なぜ武道か」―文化と伝統を問う―』日本武道館発行「武道とは」をぜひご覧ください。
術から道へ価値を高めようとする思想というか信条は、日本人が古くからもっている特有の思い入れかもしれません。ひと言でいえば、習い事などをする場合、その技術が上達する過程と人間の向上とが同一の歩みでなければならないとする思想です。
この「道」について中林信二氏は、その著『武道のすすめ』中林信二先生遺作集刊行会発行「道の用心」で次のように述べています。
日本人は「道」という言葉を好んで使うようである。柔道、剣道、弓道はもとより、茶道、花道、芸道あるいは武士道など、とかく道と呼ぶことによって存在としての技術や実践を昇華した精神性や道徳性を意味させ、人間の形成や生き方と大きな関わりを持って考える。日本人の意識構造や日本思想史の理解にもこの道の思想は重要な位置を占め、日本文化を特色づけるものである。
このように日本人は、茶の湯を茶道、生け花を花道、また手習いを書道と呼ぶことによって、習い事を人間形成の道に高めようとしてきました。
「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道」であると、『剣道の理念』では謳っていますが、これこそ″道の思想″を端的に言い表したものといえましょう。
そこで、先月号では、なぜ、武術的な打撃効果の高い技(左胴)を「逆」と表現して厭わしさを持たせ、反対に非武術的な右胴打ちが基本とされるようになったのか、という素朴な問いかけをいたしました。いま、「道」という思想的輪郭をはっきりとさせたところで、このことについて述べてみましょう。
それは、旧来からの剣術に内在する本能的な動きを封じなければ、人間形成の道にならないという必然性によるものと推察されます。すなわち、殺人技であった剣術を人間形成の道へと移行するには、暴力性を減殺させることから始めなければなりません。というより、「道」としての自覚が芽ばえたときから、知らず識らずのうちに、本能的あるいは暴力的な動きをコントロールしようとする方向に意識が働いたようです。
その一つに、剣道では″間合″を大切にします。その場で踏み止まって打つことをよしとしません。遠間をたっとび踏み込み足で前に出て打ち、引き技は間を切ると同時に放ちます。決してその場にとどまって打つことは教えません。それはなぜでしょう?
考えられる理由として、その場で腰を据えての打ちは撲打となりかねません。そうなると闘争本能がむき出しとなり、腕力ざたの殴り合いに終始してしまうからではないでしょうか。とにかく技を出すには身体の移動が伴わなければならないことが常識として植え付けられてきました。
このほかにも、こういった暴力的な技を排除してきた成りゆきは沢山あります。足がらみ、足払い、組討ちがいつの間にか姿を消し、また、ある時期までは盛んに行われていた片手半面も、最近ではあまり見ることはありません。片手技そのものが粗暴に見えるためか、めっきりと少なくなりました。その反対に突き技は、諸手より片手の方が手がるに行われています。もう一つ申せば、かりに片手半面とか片手突を繰り出す場合も、一般的に利き腕とされる右手で行うことをよしとせず、左手をもっぱらとしています。これも本能や感情と直結する利き腕の使用をはばかってのことでしょう。このような例をあげると枚挙にいとまがありません。
話をもどして、右胴を順、左胴を逆ととらえる観念も、本能的で感情に直結する荒くれた動きをしりぞけるための、教えの一つとして広がったものと結論づけさせていただきます。このように剣道は、次第しだいに動物的本能を制御させたものへと洗練の道を歩んできました。
話がここまで進んだところで、「なにを軟弱な!」と、お叱りの声が聞こえて来そうです。次回はそれにお応えするためにも、治安維持の戦士である警察官を取り上げ、警察術科である逮捕術と剣道を題材とした、「術」と「道」との対比を試みたいと思います。
(つづく)
*この『剣道みちしるべ』は、2007年8月〜2010年1月まで30回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。