図 書
剣道みちしるべ
第19回 心すべきこと②
総務・広報編集小委員会(当時)
真砂 威
戦前わが国では国家総動員体制の下、武道が一般スポーツ、体育より優遇されていたことは前回述べました。国中が「鬼畜米英」をあげるなか、英語は軽佻浮薄な「敵性語」として位置づけられ、いちいち日本語に翻訳して言い換えるということが行われていたようです。当時も国民の間で親しまれていた野球は、アメリカの国技だとして排斥が進められたといわれています。今も語り伝えられているように、野球用語のボールが「だめ」、ストライクが「よし」というように言い換えて使っていたというのは本当のようです。―少なくとも表向きは―。
その点、 武道には外来語は一つも出てきません。ここが武道を優遇したもう一つの理由と言えるのでしょう。英語を日本語に言い換えるようになった経緯の一つにこのようなことがあったと聞きます。政府は、武道の物資予算についてかなり優遇したが、スポーツに対しては冷たくあしらった。体育関係者が官憲にその理由を聞くと「スポーツは外来のものだからいけない」との返事。「だって、飛行機も軍艦も外来のものではないか」と反論すると、「それは日本語に翻訳してある、君たちは外来の言葉のままでやっているじゃないか」と一蹴―「それじゃ」となったということです。
戦後、武道特に剣道は学校や警察おいて全面禁止されるなど活動に著しい制限が加えられ、反対にスポーツが奨励されるといった逆転現象が起こります。これはアメリカの占領政策であったことは確かでしょう。しかし、それだけではなく、戦前冷遇を受けた体育関係者はもとより、多くの国民の中から武道優遇に対するゆりかえし現象が起こったのも当然のことかもしれません。
その後数年の空白期間を置いて、昭和27年に全剣連が発足し、翌年の昭和28年には文部省により、「純粋スポーツ」であることを強調した上で、高校・大学で実施することが認められました。中学校では昭和32年に認められることとなります。
しかしこれは、あくまで選択科目として行うことを認めたのであって、必修科目となったわけではありません。また「武道」の名を冠することは許されず、「格技」という呼び名での再出発でありました。
次の流れは30数年経った平成元年に巡ってきます。同年改訂の学習指導要領において「格技」が「武道」と改められます。いよいよ必修化が実現するかの兆しが見えました、が、道のりは険しく、それから20年もの歳月を経てようやく今回の必修化へと進展します。
誤解のないように申し上げますが、必修化といっても戦前のように、独立した教科として行うのではなく、あくまで体育の一種目に編入されるということです。そのことは武安会長が本誌『まど』で再三にわたって述べておられます。「陸上競技・水泳などに並んで武道が、必修になるということですから、武道が特別扱いで重視されたというより、やっと他のスポーツ並みになったというべきです」と。決して戦前の状態にもどるというものではありません。
これは後知恵かもしれませんが、当時、敵性語排除とともにあった武道優遇という措置は、剣道関係者にとって有難迷惑な話であったと思われます。また、敵性語の日本語言い換えという珍奇な現象をどのようにみればよいのでしょう。しかし、何でも日本語に言い換えれば済むというものではなかったようです。エンジンは「発動機」に、ポケットは「物入れ」、タオル
は「汗拭き」というように置き換えは自由に利くのですが、「エンジンの音轟轟と…」でおなじみの軍歌『加藤隼戦闘隊』を「発動機の音轟轟と」に言い換えると、まるで軽快さがなくなってしまい到底受け入れられません。また、カレーライスは「辛味入り汁掛け飯」と一応言い換え語がつくられたようですが、「海軍カレー」が誇りの海軍では決してこの言い換えをしなかったとのことです。このように敵性語排斥も、現実離れしたものとして徹底したものではなかったようです。
ちょっと余談がすぎましたが、次回は、剣道の戦技化への風潮に異を唱えた人たちとその周辺について述べたいと思います。
(つづく)
現在では試合・審判規則などで、メートル、センチ、ミリ、グラム、ポリカーボネート、サポーター、ズボン、ワイシャツ、ネクタイ、チームといった外来語が使われている。
*この『剣道みちしるべ』は、2007年8月〜2010年1月まで30回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。