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剣道みちしるべ
第27回 警察における取り組み①
総務・広報編集小委員会(当時) 真砂 威
前回は、警察が剣道に取り組む姿勢の一端を紹介しましたが、明治期以来、警察が剣道の推進に関わった役割は大きいと考えられるので、ここでスペースをいただき警察剣道の変遷について少し述べてみたいと思います。
明治10年、西南の役において警視庁抜刀隊の存在が警察に剣道が採用される発端となったことは有名です。初代警視総監、川路利良大警視の「撃剣興国論」では、「西南の役において鉄砲の世となりしにもかかわらず、抜刀隊が非常に功を奏したるを見れば、剣道の有利なること論より証拠である。その上、人格を陶冶し、勤労の訓練をすることにおいても、剣道は最も有益なものである」と述べています。その後、明治12年、警視庁に武術世話係が置かれ、新設された巡査教習所には武道場が設置されました。柔道は剣道に遅れること4年、明治16年に採用されますが、両者の採用は、古今わが国の武道の中で得物武道の代表格が剣道で、素手武道の代表格が柔道として、二大武道と言われているということからも容易にうなずけます。
明治半ば期、警視総監で後に武徳会会長を務めた大浦兼武は、「警察官は武士であり武士道が警察官の精神を支配すべきだ」と主張し、武道の奨励を説きました。さらに大正時代はじめ、警視総監であった西久保弘道(後の武徳会副会長兼武道専門学校校長)は、警察官が武道の訓練をする目的は「体力を鍛え胆力を練ることである」と力説します。このように戦前、警察の武道は隆盛を極めます。
戦後、武道教育は教育民主化の障害とみなし、連合軍は厳しい統制と監督の下に占領政策を押し進め、終戦直後の昭和20年11月には、はやばやと学校で武道の全面禁止の通牒が出されます。
警察官の剣道については昭和22年1月、連合軍から剣道廃止の指令が発せられます。警察はこの指令を受け、剣道に代わる新たな術科として「逮捕術」を設けることを決定し、同年12月に「逮捕術教範」を制定しました。そして2年間、同教範の布達期間を経た昭和24年11月、「剣道の訓練中止」の通牒が発せられます。
このように警察では剣道の廃止により、はしなくも逮捕術を創設させることとなりましたが、その当時の剣道指導者を逮捕術教師へと移行させることで術科指導の職務を継続させました。また禁止期間においても常に逮捕術と連動させ、警棒や警杖訓練の名目で、暗黙裏になかば公然と剣道の訓練を行ったとのことです。
一方柔道は、講道館の創設者で日本初代IOC委員となった嘉納治五郎の国際的活躍もあり、既に世界に広く認知されていたゆえ禁止されることはありませんでした。
剣道は、その後約4年の禁止期間を置き、昭和28年5月付、通達「剣道訓練の実施について」が発せられ再開します。
訓練の実施にあたっては、次のような条件が付されての復活でした。通達の一部を紹介いたします。
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剣道訓練の実施について
一 警察における剣道訓練の目的は、第一に、柔道と相並んで、警察官が逮捕術を体得し、これを有効に実地に用いるため必要な技術体力及び精神力を錬磨するにあり、第二に、警察官の体育として警察官の心身の健全な発達を助長するにあるのであるから、この趣旨を部下職員に十分徹底せしめること。
二 従前一部にみられたような極端な精神主義乃至国粋主義的な理念を鼓吹することがないよう厳に注意すること。…後略…
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以上のように、剣道訓練の再開にあたっては非常に慎重に進められてきたことがわかります。また、文中にある「極端な精神主義」とは、武士道が含まれていることは申し上げるまでもないことです。
これは余談になりますが、現在、警察における呼称順は「柔道・剣道」となっていますが、戦前においては「剣道・柔道」の順番で呼ばれていました。これは古来武術以来のことでありますし、警察において武道が採用された経緯も剣道が先んじていたがゆえです。呼称順の逆転は、文中「柔道と相並んで」とあるように、柔道の次に位置されたからに他なりません。語呂がいいこともあり「柔剣道」などと呼ばれていますが、剣道人としては承伏し難いものがあります。
(つづく)
*この『剣道みちしるべ』は、2007年8月〜2010年1月まで30回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。