図 書
剣道みちしるべ
第28回 警察における取り組み②
総務・広報編集小委員会(当時) 真砂 威
剣道の近代史において、伝統の断絶ともいえる存続の危機が二度ありました。この二度の危機において警察は伝統をつなぐ役割の一端をになったと思います。
最初の危機は、明治維新による西欧化思想の世を迎えたときです。明治9年に廃刀令が公布され、軍人と警察官以外は帯刀が禁止となります。旧幕府の剣術家達は、帯刀できるということで警察官に転身するものが多くいました。そして、警視庁抜刀隊の存在が剣道の再評価の先がけとなったことは前回述べたとおりです。
二度目の危機は、第2次世界大戦後の占領軍による弾圧です。終戦の直後から、〈極東委員会による精神教育禁止の司令〉〈学校における武道の全面的禁止〉〈一般武道の制限措置〉〈「武道」の用語の使用禁止〉〈「大日本武徳会」の解散命令〉と、矢継ぎ早に行われます。警察に対しても終戦の翌年1月に連合軍は「剣道廃止」の指令を発します。しかし警察で禁止したのは昭和24年11月です。なんと終戦後4年余りも持ちこたえました。
昭和22年1月、警察は剣道廃止の指令を受け、即座に剣道に代わる新たな術科として「逮捕術」を設けることを決定します。そして同年12月には「逮捕術教範」を制定しました。しかし、同教範を全国に行きわたらせるため、2年間という布達期間を認めさせます。そして2年後の昭和24年11月に、通牒「剣道の訓練中止」を発するに至ります。牛歩戦術といえば例えが悪いかもしれませんが、独立回復後の剣道復活をにらんだ用意周到な対応と言わざるを得ません。
また剣道の指導者を御役御免とせず逮捕術教師へと転じさせました。そして逮捕術の訓練も常に剣技と連動させ、実質的には中断することなく剣道の活動が行われ、専門家としての技量を低下させることなく、伝統の断絶ともいえる状況を乗り越えました。
そうして昭和28年5月に訓練が再開されると、同年11月には「第1回全国警察剣道大会」が実施されます。その後この全国大会は毎年秋期に行われ現在に至っています。剣道復活、大会実施の当初においては、あたかも干天の慈雨がごとく、それぞれ警察署の道場は活気にあふれ、非番日においても意気盛んに竹刀の音が鳴り響き、また、東京で行われる全国大会の出場に当たっては、全国各地から選手は夜行列車に乗り、それぞれが食い扶持の米持参での開催であったと聞きます。その光景を思い浮かべると隔世の感がありますが、剣道界の明るい将来を予測させる力強さをうかがわせます。
このようにみますと、当時としては危機であったことも、今となっては″転機″と受け止めることができます。
ところで剣道訓練の再開にあたっては、もはや明治期における大浦兼武警視総監のように、「武士道」を表立って掲げることはできません。あくまでも逮捕術の基礎的技能の修得を第一義とした訓練の実施です。それは現在でも基本的には変わりません。しかしながら剣道の訓練が、武士道的な態度や精神を培うことへの期待がこめられていることは当然のことです。
前に、「武士道は知らず知らずのうちに日本人の精神的な基盤となっている」と申しました。といって今の時代、直に「武士道」と言い立てるにはいささかためらいが感じられます。ですから、剣道を武士道と関連づけて言うときは、前述のように″武士道的な態度や精神″というような使いかたをする方が、剣道と武士道が自然につながるような気がします。
もう5年も前のことですが、武士道のうまい使用例が思い出されます。それは平成16年からの自衛隊イラク派遣で第一次復興支援群長を務められた番匠幸一郎氏が日本を発つ際に挨拶された言葉です。
「日本人らしく誠実に心を込め、武士道の国の自衛官にふさわしく、規律正しく堂々と取り組む」
これは非常に賢明な言い方だと感心したのを思い出します。復興隊の長としてイラクに赴く心意気というものが切実に伝わってきます。これを「武士道精神をもって…」などと言おうものなら、いっぺんに時代感覚のずれを漂わせることになりかねません。武士道を今の世に生かそうとするには、使い方に一工夫いるようです。
(つづく)
当時は食糧管理制度下にあり、旅館などに宿泊し、米飯の提供を受ける際は、現物の米を持参することなどが義務づけられていた。
*この『剣道みちしるべ』は、2007年8月〜2010年1月まで30回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。