図 書
剣道みちしるべ
最終回 剣道の本質と競技について
総務・広報編集小委員会(当時) 真砂 威
野球やサッカーやバスケットボールなどのスポーツと武道、ことに剣道はルールや勝負の競技観においてやや違った意味合いをもっています。
もともとスポーツは娯楽的あるいは遊戯的といった要素を強くもっており、ルールの設定は競技者や観戦者の興味を増進させることを大きな目的としています。
しかし剣道におけるルールは、一般競技スポーツのルールの成り立ちと次元を異にします。なぜならば剣道は、刀による命を懸けた闘いが原初形態としてあるわけですから、「まずルールありき」のスポーツとは一線を画します。(第10回・平成20年5月号参照)中林信二氏は、スポーツと武道のルールを対比させ次のように述べています。
《ルールといえば、われわれが人間社会を形成し生活するうえで守らなければならない法律や道徳、習俗に関する規範もルールである。しかしスポーツにおけるルールはこのような社会規範とは本質的に別のものであろう。スポーツにおけるルールは、日常生活から離れた仮の世界の中で適用され、それによってその競技をより楽しく、おもしろくするなど、その中で効力を発揮する約束上の取り決めである。バスケットボールで三歩以上歩けないとか、バレーボールで三回以内のパスで相手コートに入れなければならないなど、その競技の長い歴史の中で、よりおもしろくできるように考え出されてきたものである。…中略…
そしてその技術は、ルールで規定されている境界ぎりぎりの所でプレーすることが高度な技術となってくる。バレーボールでも、ボールをすぐ相手のコートに返すのではなく、許されている三回を、パス、トス、スパイクというふうにできるだけ有効に使って攻めるのである。定められた規則の限界すれすれのプレーがより高度な技術となり、ゲームにおいても勝つために最も有効な技術となる。規則の境界線に向かって、中から外へ外へと技術が開発され訓練されていくといえよう。…中略…
武道においては、罰則規定ぎりぎりの所で行われる技術を決して高度なものと評価していない。なるべくその規定に触れない離れた所、いわば罰則規定の境界線から中へ中へと技術は求められ、錬磨されるのである。より正しく、より美しくという価値が問題となる。本来ならこのような規定なしで行われるのが、武道の本当の姿であるという考え方が成り立つ。》
少々引用文が長くなりましたが、中林氏が指摘されているようにスポーツは仮の世界の中での競技ですから、罰則すれすれの行為も正々堂々の戦いと評されます。しかし剣道では、上述のようにこれと全く反対で、そっくり日常の道徳規範を身にまとって試合をしていることになります。第14回(平成20年9月号)「術から道へ」で述べましたように、剣道では試合場面においてもやはり、その技術と人間の精神や態度を一体のものとしてとらえる″道の思想″が土台となっていることがわかります。
いよいよ中学校での武道必修化が現実味を帯びてまいりました。今こそ『剣道指導の心構え』(平成19年3月14日制定)、「竹刀の本意」「礼法」「生涯剣道」の三本の柱を体した指導が求められる時代に入ったといえるでしょう。
(おわり)
平成19年8月から2年6カ月にわたり書き綴ってまいりましたが、このたび第30回を区切りに一旦筆を置かせていただきます。
新時代の剣道とどう向き合うのか、指導や普及の課題をいかに発展させるか、「その道標を求めるための企画」と銘打ちましたが、筆者の実力不足もあり、その内容を十分に尽くすことができなかったことを、この紙面をお借りしてお詫び申し上げます。また、拙文にお付き合いいただいた方々には心から感謝申し上げます。
今後も微力ながら総務・広報編集小委員会委員として、『剣窓』の内容充実に努める所存ですので、どうか宜しくお願い申し上げます。
世界的規模で論ずれば、武道もスポーツの範疇に入ってしまうわけですが、ここでいうスポーツは、狭義の「一般競技スポーツ」を指すものとします。
『武道のすすめ』(「武道とスポーツ―ルールと倫理―」)中林信二著、中林信二先生遺作集刊行会発行。
*この『剣道みちしるべ』は、2007年8月〜2010年1月まで30回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。