図 書
人間教育としての剣の道を辿る
第1回 歴史から何を学ぶか
国際武道大学 教授
田中 守
「スポーツ化」という表現で、武道のあり方を憂える声が上がって久しい。例えば、「柔道はもはや武道ではなく、JUDOというスポーツそのものだ」と揶揄される。あらためていうまでもなく剣道を含めた武道全般の問題である。競技偏重・勝利至上主義、商業主義の蔓延――武道とは何か・武道とスポーツの違いは何かを今一度問い直す必要を痛感するが、そのキーワードとなるのは「歴史」「伝統」「文化」であるように思う。
例えば、武道憲章(昭和62年武道協議会制定)においては、
武道は、日本古来の尚武の精神に由来し、長い歴史と社会の変遷を経て、術から道に発展した伝統文化である。
と謳われている。また、現行の学習指導要領においては、武道の特性を活かすものとして「伝統的な行動様式に留意する」「礼儀作法を尊重する」ことが示される。さらに、指導現場においても、「形」をはじめ技や心のあり方について、古来の様々な訓えが今も教習の中核をなすものとして受け継がれている。
しかし、近年の各種大会における試合内容と選手の姿勢態度や応援の様子、また学生達の日頃の取り組み姿勢の中に、歴史や伝統・文化の何たるかを見出すことは残念ながら難しい。大学で武道史の講義を担当しているが、学生達から「歴史を学んで一体何の役に立つのか」という質問を受ける。チャンピオンスポーツの一つとして武道を受け止める傾向の強い彼等にとって、おそらく直接の関心事からは程遠いものでしかないのだろう。
実際、歴史・伝統・文化というようなものは一言で定義できる程簡単なものではない。
そこで、先ず今、我々が剣道の歴史から何を学ぶのか(学べるのか・学ぶべきなのか)を考えてみよう。歴史学的な議論は別のこととして、剣道の歴史を学ぶ意義は
一、過去を知る(先達の足跡を辿る)
二、今を考える(問題意識を持つ)
三、将来を展望する(道をつなぐ)
の三つだと思う。
剣道は、先達の努力工夫により、闘争の「術」から人間教育の「道」へと昇華を遂げ現在に至っている。もちろん、そこには時代の変化とともに、技・ルール・用具・社会的位置づけ等々大きな変容が見られる。その実態を知ることが歴史を学ぶことの中心ではある。
例えば、流派の発生や盛衰、形稽古の実態や竹刀打ち込み稽古の台頭、撃剣興行やしない競技の実態を知ること。大日本帝国剣道形制定や段位称号の歴史、試合審判規則の推移、さらには学校剣道の流れや国際化の歩み等々を追うことで現代剣道の成り立ちを把握することである。
しかし、より重要なのは、それぞれの事象が何故起こったのか(背景にあるもの)、そしてその是非(後世にどの様な影響を及ぼしたのか)を考えることである。そこに、はじめて今の剣道を考え、五十年後・百年後の剣道を創り上げる(道をつなぐ・人を育てる)ことができるのではないだろうか。その意味で、剣道の歴史を学ぶということは、「人間形成の道」としての剣道の成り立ちを学ぶことに他ならないと思う。
「温故知新」「稽古照今」「不易流行」等は剣道の世界で好んで使われるが、言葉だけ唱えてみても何の役に立つものでない。日々の修行の中に歴史・伝統・文化といった要素をどう捉えるかが重要だ。
先達は剣道の技と心(術理)に関する訓えを、形とともに伝書というかたちで今に伝えている。また、様々な武芸評論も数多く遺されている。我々はつい、その記述を鵜呑みにしたり、都合の良いところだけを抜き出して利用しようとすることがある。だがそれでは、有効な活用とはならない。その伝書の意図するところや時代背景を理解し、さらに記述の真偽や是非を十分吟味する必要もある。その上で、今を考え、未来を創る糸口として大いに活用すべきである。
「歴史は繰り返す」である。現代剣道が抱える諸問題について、歴史の中に様々な答えが見出せるはずである。
今を誤ることなく、正しく道をつなぐために考えてみよう。
(つづく)
*この人間教育としての剣の道を辿るは、2006年10月〜2007年9月まで12回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。