図 書
人間教育としての剣の道を辿る
第6回 斯道奨励 その1
国際武道大学 教授
田中 守
今年も、入学試験の季節がやってきた。毎年繰り広げられる光景ではあるが、掲示板に張り出された自分の受験番号を見つけ、友と抱き合う者や、胴上げで祝福される者、また力なく肩を落とし、うつむき加減にその場を離れる者など悲喜こもごもである。
若者たちは、受験に自分の将来の夢を託すが、真に大事なのは、どの学校に入るかではなく、そこで何を学び、どの様な人間に成長するかである。学歴そのものが決して人の値打ちを決めるものではない。
だが、これまで日本では、有名大学偏重の「学歴社会」が形成されてきた。また、社会でも「肩書」や「年功」が重んじられ、あらゆる場面で「序列」や「疎外」を生み出す元凶となってきた。
さて、我々は入学試験の合格発表と全く同じ光景を、昇段審査の会場で目にする。晴れて昇段した者の喜びと、そうでない者の落胆、そこに一体どの様な明日が待っているのだろうか。
たとえば、昇段を機に稽古の際の着座位置が入れ替わるなどは、よくあることだ。中には、上座に移って、かつての先輩や恩師までをも見下す態度や発言に出る者もないわけではない。「実力の世界だ」といえばそれまでではあるが、人間同士の「礼」を大切にする剣道の世界においてあってはならぬことだ。
「剣の理法の修錬による人間形成の道」を理念とする剣道において、いつの間にか、段位や称号に必要以上の権威を置き、それに傾斜してしまい、「学歴社会」や「肩書社会」同様の「序列」の図式が形成されてしまったことは否定しきれない現実だと思う。ここらで、あらためて段位や称号の意味を考える必要を痛感する次第である。
そもそも、現代武道の段位制度は、明治16年8月、富田常次郎・西郷四郎の両名が柔道初段を允許されたことに始まる。嘉納治五郎は、講道館の段位制度を整備した経緯を、「切紙・目録・免許・皆伝」等々といった古流の免許制度を説明した上で、
しかしその階級は、大抵四つとか五つくらいであったから、修行者の奨励上あまり間が遠過ぎて不便に感じた。
『有効の活動』大正9年6月号
と述べている。嘉納は、草創期における柔道の普及発展を図る上で、単に従来の古流柔術との差別化を考えたというのではなく、教育者の視点から、学習者の適正な「評価」の重要性を認識し、段位を制度化したのであろう。
一方、剣道においては、早くから警視庁で「級位」でのランク付けを実施しており、大日本武徳会もこれに倣っていた。しかし、
既に剣道が柔道と共に我国技として奨励せられ、学校に於ても同様に採用せられ、社会に於ても等しく行はるゝ以上、其階級の名称も相一致するを便宜とす。
『剣道』高野佐三郎
との考えから、大正6年3月より、剣道も段位に一本化されたのである。
この様に、「斯道奨励」のための工夫として考案された段位制度ではあるが、嘉納自身が、
「精密に考えてみれば、柔道の階級を定めることはなかなか複雑な問題」「実際において、二万に近い館員を取り扱う上に、各種の資格を精密に取り調べて進級の詮議をすることは不可能」
『柔道』第四巻第六号大正7年6月
と述べているように、その認定方法のあり方については、創始者当人が相当な困難を認識していたようである。
つまり、古流の免許制度は、師弟一対一の教習関係を前提に成立したものである。師は自らの目で、弟子の技量のみならず、日ごろの修行態度や言動、思想信条までも含めた全人格的成長を見極め、その上で段階を追って「伝授」を行うのである。そこにおいては、伝授そのものが、まさに「師弟同行」の関係に立脚しているのに対して、嘉納が新たに制定した段位制度は、「一級世話掛」「有段者資格審査委員」「有段者資格審査委員補」「有段者資格決定諮問委員」等の第三者機関による「詮衡」という形を採らざるを得なかったのである。それは、公平性や客観性を求めてのことではあるが、段位を巡る複雑な問題は、逆にこの認定手続きを師弟関係の外においたところに起因するといえるであろう。
(つづく)
*この人間教育としての剣の道を辿るは、2006年10月〜2007年9月まで12回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。