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人間教育としての剣の道を辿る
第8回 戦わずして勝つ その1
国際武道大学 教授
田中 守
人間の歴史は「戦いの歴史」でもある。21世紀の現代においても、今なお世界各地で大小様々な地域紛争や戦闘行為が繰り広げられている。また、我々は受験競争・出世競争・ビジネス競争など、日常生活においても、競争から離れられない環境にある。競争だ、勝負だ、という感覚は、どうやら人間存在の根源部分に位置するもののようである。その競争原理こそが、人類の歴史における進化、発展の原動力であったことは疑いのない事実であろう。
戦う以上は、勝つことを目指す。いや、勝たなければ生きていけない。剣術における技術論や方法論は、まさしくそのためのものであった。自らが勝利者となるための弛まぬ工夫研鑽が、そのまま剣道の歩んできた歴史だ、といっても過言ではあるまい。
宮本武蔵は、その実践者として象徴的な存在だといえるのだろう。彼は、
諸流の兵法者に行合ひ、六十余度迄勝負すといへども、一度も其利をうしなはず
と、自らが必勝不敗の勝利者であることを書き残している。剣聖と呼ばれる所以である。
武蔵が自らの勝負の極意を『五輪書』に書き著したように、技や心そして勝負の要諦について、古来様々な伝書が遺されているが、その主題はいずれもまさに「必勝」である。技術・理論・精神、すべておいて「人にすぐるゝ所」を探求し、「勝利の方程式」を説くものである。
しかし、勝利は決して常なるものではない。また、誰しもが武蔵のような必勝不敗の勝利者となれるものでもない。勝者の陰には、必ず敗者が存在するのである。例えば、『猫之妙術』には、
我やぶつて往かんとすれば、敵も亦やぶつて来る。又やぶるに、やぶれざるものある時はいかん。我レ覆つて挫がんとすれば、敵もまた覆つて来る。覆ふに、覆はれざるものある時はいかん。豈我レのみ剛にして、敵みな弱ならんや。
とある。ここに示されるように、敵わぬ者がいる、敵わぬところがある、ということも、これまた受け容れなければならない現実である。「生死」に直面する兵法者にとって、必勝を期すると同時に「上には上がいる。その時はどうするのか」を考えることもやはりまた「勝負」である。そこに、必勝理論の追求以前の問題として、まず自己の内面における戦いに克つこと、つまり勝利へのこだわり、生への執着をいかに克服していくか、という問題が意識されるのである。また、徒に勝負に逸ることを尊しとせず、という思想が大きな意味を持つようになるのである。
ここで想起されるのが『老子』の
兵は不祥の器、君子の器に非ず。已むを得ずして之を用うれば、恬淡を上とし、勝ちて美とせず。若し之を美とすれば、是れ人を殺すを楽しむなり。夫れ人を殺すを楽しめば、即ち以て志を天下に得べからず。
の訓えであり、『孫子』の有名な
百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。戦はずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。
の一節である。では、こうした中国の古典から我が国の先人たちは、どのような「勝負の哲学」を生み出そうとしたのだろうか。
日本においては、下克上の戦国時代から泰平の江戸時代に入り、武士に求められるものが大きく変化することとなった。戦の場で力を誇示し、戦果を上げることで己の身と家を守り評価を得てきた彼らが、全く違った尺度で計られることとなったのである。彼らに新しく求められたのは、戦国武士の勇猛さではなく、いわゆる「治国平天下」、平和社会の構築とその維持管理、つまり行政官としての能力であった。
同時に、彼らの武術武芸への取り組み方、勝負の考え方そのものにも必然的な変化が生じた。徒に敗者を作り出す戦いをやめ、互いの人格や力量、修行の過程を認め合う方向へと価値観の転換がなされたのである。その結果として、「活人剣」や「相抜け」さらには「無刀」などの思想へと深化発展を遂げたのであるが、それは「戦わずして勝つ」ことであるのとともに、「剣の道」を「人の道」として捉えることだといえるであろう。
(つづく)
*この人間教育としての剣の道を辿るは、2006年10月〜2007年9月まで12回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。