
図書
『令和版剣道百家箴』
「我以外皆我が師」
剣道範士 工藤 一夫(青森県)
私の父 工藤 石蔵は無類の剣道愛好家者で、家業である理容業を営む傍ら、30歳にして剣道に勤しみ、自転車やバイクに剣道具2個、竹刀2本を積み、県内各地の旧制中学校の剣道経験者の所に押しかけて行き、武者修業し、50歳で五段になり、私と妹 十四子に剣道の手ほどきをしました。父は私と妹にいつも、剣道が強くなるのが親孝行だと言っておりました。
県立五戸高校3年生の時、読売新聞に水戸の山本市長が先頭に立ち、水戸東武館・小澤武道館長が100人の少年剣士隊を連れて、会津の白虎隊の墓参に行くとの記事を読み、水戸 山本市長殿へ、水戸東武館で武者修業をさせて下さいと手紙を書き、東武館・小澤館長先生より内弟子として入門を許され、東武館の厳しい修業に耐えるうちに、機動隊の暑中稽古や特別訓練や強化練習、自衛隊の稽古等に連れて行って頂けるようになりました。小澤館長先生に東武館の精神である文武不岐、志は天を見よ、行いは地を観よ、夢や希望、目標は天に届く程高く大きく持てを教わり、小澤館長先生の教えは私の剣道修業の指針となりました。武者修業の成果は、青森県秋季高校団体勝抜戦で16人を勝抜き、準優勝として、表われました。
日大に進学して、全試合に出場し、剣道に明け暮れていた私は、卒業して、家業を継ぐ為、東京渋谷の東急文化会館にある文化理髪室に就職し、5年間の年季奉公を勤めあげました。これまで数多くの人間が修業し勤めたが、5年間家へ帰らず、月3回の休み以外休まなかったのはお前だけだと、理容日本一の吉田 善七先生、師匠に褒められました。
郷里に帰り、私は家業に努め青少年の剣道の指導をしながら、毎月仕事の連休を利用して夜行バスで上京し、数多くの道場で武者修業に励みました。親孝行したい一心でしたし、同じく道場に勤しむ妹 十四子の激励応援があったからでした。その期間は約15年、稽古が終ると、東京八重洲口から夜行バスで帰り、父の隠居する家で武者修業の報告をし、自宅に帰り、風呂に入りそのまま仕事に入りました。
地元の五戸ロータリークラブに入会したのは、37歳の時でした。平成元年ふるさと創生資金の活用は、一番感じやすく、心情豊かな高校生の剣道大会を開催する私の信条を果たす絶好の機会となり、五戸ロータリークラブ支援の下、剣誠旗争奪高等学校剣道大会と銘打ち、足かけ35年全国に呼びかけ開催し続けました。全国990校の高校に私自身の手書きの案内状を出し、盛大に開催する事が出来ました。大会を終了したのは、地元の五戸高校が閉校になった事と、35年前と様変わりし、高校の大会が各地で開催されてきた故でもありました。
40歳の時、町より要請されて保護司を務めることとなりました。最初に担当した人は190cmの体格の良い少年で、何を言っても、ウン、ウンと言うだけの横柄さでしたが、2回目から道場を通して、座布団を敷いて正座をして待って居りましたら、少年は正座をして素直になり、ハイ、ハイと答えるようになりました。私は此の世の中には悪い人は居ないと思って、その人が良くなる事だけを考えて、剣道と同じく一対一の真剣勝負で担当しましたらどんどん良くなり、保護観察の期間が短くなりました。
爾来35年、平成24年4月29日。厚生保護活動、保護司として、藍綬褒章授与受賞者の皆様と夫婦で皇居に於て天皇陛下の御言葉を賜りました。
私が五戸ロータリークラブの2回目の会長の時の世界ロータリーのテーマは、「メイクドリームズレール 夢を形に」でした。そのテーマから私は心に期するものがありました。その11月25日、日本武道館に於て八段挑戦です。旧知の親しい先生がたまたま私の前を通り「一次は通ったかね、二次はしっかり構えて、へそを天井に向け、気合を相手の3倍かけて、集中し無心になり攻めて、攻めて攻めて、打ち切りなさい。」のお言葉通りにやりました。二次挑戦7回目、18年、38回の挑戦で合格させて頂きました。その後、10年間、日本武道館の全剣連の合同稽古会と新松戸の松風館道場で、「我以外皆我が師」の精神で通わせて頂きました。
私は、今蘖剣道教室を開催準備中です。年老いた木の根から芽が出て葉になり、花が咲くひこばえの様に、小・中・高・一般の方が剣道で心と体を鍛え、礼儀正しくなり、剣道が強くなり、高齢の方が認知症の予防になる剣道教室です。未だ未熟な私ですが、この先10年、15年、精進して、社会奉仕で世の為人の為にお役立ち出来れば有難いと思って居ります。健康に留意し、より一層、精進致します。(受付日:令和6年7月11日)
*『令和版剣道百家箴』は、2025年1月より、全剣連ホームページに掲載しております。詳しくは「はじめに」をご覧ください。