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剣術歴史読み物
第5回 窪田清音の剣術論
南山大学 名誉教授
榎本 鐘司
武術家であり幕臣でもあるとして幕末に名を馳せたのは、直心影流男谷精一郎信友と田宮流窪田助太郎清音、この二人が双璧である。安政3年(1856)の幕府講武所の開設にあたっては二人とも「頭取」として尽力した。
窪田の門に戸田八郎左衛門忠道があり、講武所師範役として男谷の次に位置し、男谷の門には榊原鍵吉があり、同じく講武所師範役として戸田の次に位置した。
男谷が能吏でもあったのに対して、窪田は軍学の学者でもあった。男谷が時流に即した剣術を志向したのに対して、窪田は古流に伝承される武術の技法を研究し、むしろ保守的であった。ただし、単なる保守論者ではない。徹底した研究と実践経験に裏打ちされたもので、自らがそれを体現してみせた。窪田の著書に「不動丸剣記」(國學院大学図書館蔵)という一書があるが、これによれば、彼は不動丸という長大な居合練習刀で毎日修練し、筋骨隆々の体躯を作り上げていたことが伺える。門人の戸田家に今も現存する居合練習刀の総長は四尺六寸二分、柄と刀身の総重量は二貫二四七匁(筆者の計量)である。巨大と言う他はない。
窪田の著作は大部であるが、筆者がここに紹介したいのは「剣法声詞記」(山田次朗吉編著『心身修養剣道集義』所収)である。
「声は気の余情にして自ら出づるものなれども、其の源は神の為す所にして尤も霊妙なるものとす。(中略)此の如く心より現はれ出づるものなれば心に求めずして、時により、事に触れて、自ら出づるものなれども、時ありて求めて声を出すことあり。是を掛声と謂ふ。求めて此の声を出しかくるときは、自ら気力を増し、之に随ひて、威を示す助けと為り、又程度と時機とを、調和する媒介とも為ることあれば、太刀刀を左右する修業上、或は打ち、突く事に、声を加へて気を増し、或は打ち出さざる前に、一声を発して威を示し、心を取るを以て習ひと為す。かかるときの外、声を用ひず。又戦場にも、或は鬨の声を用ひて益あるものなり。」
「掛け声は、一打ちに一声、一突きに一声と為せば難なし。又声の音濫りなるときは、心降りたるが如く(中略)又声は、気を進め威を示すの外、武夫の態度をして佳美の観を為さしむるものなり。然るに濫りなる声は武夫の態度をも下し、其の心までも卑く且軽躁に見ゆるものなり。故に神傳にはエイ、トウの二声を本とす。」
江戸時代、必死の際には声を発することはできないとして練習時にも声を掛けないとする流派があり、あるいは「真の位」の場面では声を掛けないとする流派があった。窪田は、この方法に対して、「当流には必死の程、真の位等のことなし」として一刀両断に退ける。武士の習いは「常の心」を学ぶべきものであって、「必死の時に至るにも、別に改むべき必死の心なく、音声も亦常に違ふことなし」と断じた。したがって如何なる時にも声は自ずから出るのであって、声を出さないのは「自然の心を塞ぐ」ものであると述べた。この上で発声の得失、用いるべき掛け声の方法などについて、こまかに論じたのである。
窪田は、発声を自然の発声と掛け声に分類した上で、意識的・意図的な発声である「掛け声」の効果として、①気力を高める、②威勢を示す、③程度と時機の調和、④相手の心を奪う、などを列挙している。このうち「①気力を高める」「④相手の心を奪う」などについては、理解するのにそれほどの問題はない。「③程度と時機の調和」については、力の集約やスピードの緩急を図りやすくする効果やタイミングコントロール的な効果として理解して良いであろう。問題は「②威勢を示す」である。
窪田は、「声は、気を進め威を示すの外、武夫の態度をして佳美の観を為さしむるもの」として、武士としての威厳ある所作の問題にも言及している。
声は詞(ことば)に通じ、声を掛けて「威を示す」ことは、詞と身体による表現(芸能)に通じる。さらには、武術は儀礼に通底すると窪田は言いたいのではないか、と考えることは飛躍のしすぎであろうか。
ともあれ、「掛け声」についてこれほど深く読み解いた文献を、筆者は他に知らない。
(おわり)
*この剣術歴史読み物は、2002年5月〜2003年7月まで3名の筆者によりリレー形式で15回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。