図 書
剣術(道)歴史読み物
第13回 競技論の系譜1 佐藤卯吉『古き衣を脱ぎすてよ』他
大阪大学 元教授
杉江 正敏
今回からは、競技論の系譜という視点から、大正末期から昭和初期の剣道界を眺めてみたいと思います。しかし、この期に交わされた論議は、競技を目的とするものではなく、修養の手段としての競技の位置づけに関するものでした。このことは、まず、明治神宮大会に競技として剣道が参加すべきか、否かについて論議がなされました。
1、明治神宮大会への不参加問題
明治神宮大会は、国内における各種運動競技の盛況と外苑競技場の竣工を期に、大正13(1923)年10月30日から始められました。第2回大会を前にして、同競技会の武道大会に武徳会本部は不参加を表明し、各支部、中等学校に通牒を発しました。このことに関して『アサヒスポーツ』誌には、佐藤卯吉(東京高等師範学校専攻科生)の次の論評が掲げられています。
明治神宮競技大会に武徳会の不参加に就て―古き衣を脱ぎすてよ―3巻22号(大正14年10月)
明治神宮競技の武道大会に武徳会は、「武徳会の考ふる所の武道とは其の意義を異にする」の理由を以て不参加を声明し、各支部は勿論、何等武徳会と直接關係なき各中等学校に迄、之れが通牒を発したと聞く。ここに於て吾人は、敢へて本誌上を藉りて一言しやうとした所以である。
として所説を展開します。これによりますと武徳会の主張するところの骨子は、
- 武道は他の運動競技とは類を異にして、精神修養を主とするので、他の競技場に対し相当の距離を置くこと。
- 武道は勝負を争うべきでない。
- 入場料を徴収しないこと。
の3点のようです。
これに対し佐藤は、精神修養は武道の特性であるが、外来競技もスポーツマンシップの体得をめざしている。2については、現在武徳会の青年演武大会では勝負を争っているではないか、また勝負を前提としながらの悟道は、人間が神でない限り手段として必要である。3については、同意を示しながら入場者整理のため、現段階ではやむを得ないのではないか、と述べています。
2、明治神宮大会参加声明
また、佐藤と同様の論旨をもって、明治神宮競技大会剣道大会準備委員(筆者は不明ですが、森田文十郎・菅原 融=以上、東京高等師範卒業生、多良尾光道=東京帝大卒業生等の名が準備委員にみられます)による参加理由の声明文が、『同大会報告書』(内務省)にみられます(『剣道の歴史』全剣連の第3部12章および資料編を参照下さい)。ここにおいては、参加の趣旨が次のように述べられています。
武道、就中剣道の修業が身心の鍛練に及ぼす効果著しく、特に精神修養上価値あること、及剣道の修業は其大部分を地稽古に依て得らるることは、改めて説くの要なけれ共、仕合は地稽古の精髄を発揮せるものなるが故に、理想的仕合は修養上にも又重要なる手段なり。
今日仕合と称するもの千差万態にして、中に弊害なきもの有らずと云ふを得ず。故に其の指導を誤る時は、恐るべき禍根を生むも之を善導すれば、剣道修業上良好なる効果を収め得べきものにして、其の可否善悪は仕合其のものに存するに在らずして、之を行ふ方法に在り。方法宜しきを得ば奨励上は勿論、修業上にも又必要なり。
一部論者の云ふが如く仕合を不必要とせる域に達せるものは、即ち達人の事にして、一般普通人に対しては理想的仕合の必要こそあれ、是れを不必要とするは何等理由なし。
この武徳会の不参加問題は、大正15年から神宮競技大会が神宮体育大会に改称されるに及んで解決をみることとなります。
この時期には、明治期に「体操」に対して優位を主張した武道の精神修養的価値とともに、「競技」のもつ訓育論(団体競技の訓練によって、フェアープレー・チームワーク・リーダーシップなどの精神を育成する教育方法)に対し、新たな価値の提言が必要となってきました。
3、佐藤卯吉略歴
明治28(1895)年2月、大阪府に生まれる。広島県広陵中学卒業。大正8(1919)年東京高等師範学校体育科(剣道専攻)卒業。同専攻科を経て同校助教授、教授となる。戦後は、東京学芸大学教授、中京大学教授などを歴任する。剣道範士九段。昭和50年6月14日死去。
(つづく)
*この剣術歴史読み物は、2002年5月〜2003年7月まで3名の筆者によりリレー形式で15回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。