図 書
刀剣の思想
第1回 プロローグ1「剣」「道」の文化性
全剣連 広報・資料小委員会 委員
筑波大学 体育系 教授
酒井 利信
1、「剣」の「道」
「剣」の「道」と書いて「剣道」という。
ここに剣道の意味深さがあるように思われます。
今日、日本中どこでも、さらに世界各地で、実に多くの人達が剣道の稽古に励んでいます。その姿はまさに真剣そのもので、性別や年齢を問わず、何らかの“こだわり”をもちながら「剣道」というものに取り組んでいます。
剣道愛好家をそこまで打ち込ませているところのものとは、一体何なのでしょうか。
身近な問題に置き換えて考えてみましょう。
私も含めて剣道をやる者にとって、他の近代スポーツと同列に扱われたくないという意識が強く働く場合があります。そういった時、剣道は「道」だから、というようなことをよく言う。皆さんにも経験があるかと思います。
人々に剣道をさせているところの“こだわり”、それが「道」であるということなのでしょうか。
2、「道」の文化性
「道」という語は実に曖昧で難しい言葉です。第一に、非常に多くの意味をもつ。
「道」といった場合、まず「人の通行するところ」という意味があります。それが転じて「人として守るべき条理」という意味をももちます。他に「専門の領域」といった意味があります。「茶道」といった場合、茶の湯という専門の領域という意味です。それから「極意」といった意味でも使われます。「道に達した」などと言った場合はこの意味です。「神道」「仏道」などといった場合、「神仏の教え」といった意味です。次は難しいのですが、古代中国思想でいうところの「宇宙の大原理」などという意味もあります。
他は省略しますが、これだけみても実に多くの意味をもちます。
この言葉の難しいところは、この場合はこの意味というように、一対一に対応しにくいところにあります。常に背後にいくつかの意味を匂わせながら使われます。このことが、この言葉の曖昧さにつながるのですが。
なぜ多くの意味を持つかというと、それだけ多くの文化と接してきたから、と私は考えています。ひとつひとつの意味をみると、かかわってきた文化事象の多さは明らかです。それらを複数背後に匂わせながら使われる「道」という言葉の表現するものは、その文化性の広さ、深さではないかと私は考えています。
つまり、日本のみならず世界中の人々に剣道をさせているところの“こだわり”は、剣道の文化性ということになるでしょう。
「道」という言葉は、背後にある文化性を言い表すには十分な言葉です。また、そういった使われ方をしています。
3、「剣」の文化性
「道」という言葉の文化性を確認しましたが、一方その多義性、曖昧性から、範囲が広く漠然としていることも確かです。事実他にも「道」をもって言い表す文化は、運動文化でいえば「弓道」「柔道」「空手道」など、他文化でも「茶道」「華道」などたくさんあります。
実は剣道ということに限った場合、その文化性のオリジナリティーは、むしろ「剣」という言葉によく表れています。
日本には、古来「剣」を神聖なものとする観念があります。
実は、これは剣道や剣術の世界に限ったことではなく、政治や社会制度、信仰や宗教の世界に至るまで、実に多岐にわたります。「剣」というものを中心に、実に広く、深く、そして重層的な精神世界が広がっています。
これを私は「剣の観念」といっていますが、剣道の意味深さ、そして人々を剣道に引き付けているところの“こだわり”は、ここにあると考えています。
「道」が示唆した文化性を、更に剣道特有のものに限定していくのが「剣の観念」であるとも言えるでしょう。
今回は、論旨の都合上、「剣」ということに絞って述べてきましたが、次からは少し範囲を広げて、「刀剣」に対する思想を皆さんと一緒に追って行きたいと思います。
(つづく)
*この『刀剣の思想』は、2003年9月〜2004年8月まで12回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。