最終回 鳥瞰図
刀剣の思想
最終回 鳥瞰図
全剣連 広報・資料小委員会 委員
筑波大学 体育系 教授
酒井 利信
1、はじめに
剣道の、現代社会における存在意義は、(競技性の他に考えられることとして、)ひとつにその文化性である、との思いから、特に刀剣の思想に焦点を当てての論考を書き綴ってきましたが、とうとう今回が最終回ということになります。
およそ一年にもわたる連載で、全体像が見えにくくなってきているかとも思いますので、最後にその鳥瞰図を示してまとめさせていただきます。
つまり、少し離れて、鳥が空から眺めるように遠くから見ることによって、大凡をつかもうということです。
このことによって剣道の文化性の広さと深さが鮮明に浮かび上がってくるはずです。
2、文化性の広さ
連載を通して既にお感じのことと思いますが、刀剣の思想、特に刀より剣を神聖視するような観念は、ひとり剣術に係わることにとどまらず、実に様々な文化事象に係わって存在していました。これは剣道の文化性の広さを端的に表すものですが、整理すると三つのグループというか層に分類することができます。
剣による辟邪の呪術や、実際の敵のみならず自己の内にある心をも斬る、いわゆる「我も斬り彼も斬る」技術は、いうなれば剣術という個人の活動にかかわるものです。剣のもつイメージによって対処してきた精神性の問題が、戦いの場という非日常的なものから日常における倫理道徳的精神性に転化したとしても、それは個々の生き方にかかわる問題であって個人的なレベルであることに変わりはありません。これが一つ目です。
次に、刀剣が武士を象徴したり、治国の象徴であったりといったことは、武家社会における共通の理解であって、集団の精神性に係わることです。しかし、長い日本の歴史の中で特定の時代の特定の集団に限られたことであることもまた事実です。特に天皇の位を象徴する三種の神器にはその傾向が強く、これらはいうなれば政治・社会制度に係わるものとして理解できるでしょう。
最後に草薙剣や韴霊剣は、天上と地上を結ぶものであって、それ故に神の象徴であり、現在でも信仰の対象となっているものですが、こういったイメージは古代神話によって形作られたものでした。信仰・宗教に係わる事柄で、我われ日本人の精神の最も深いところにあり、普遍性の強いものと考えてよいでしょう。
つまり①個人の活動に係わるもの、②政治・社会制度に係わるもの、③信仰・宗教に係わるもの、の三つに分類できるということです。そしてこれらは図1のような層をなしているのですが、重要なことはこれらは個々に独立しているのではなく、必ず他(主に下の層)に根拠づけられながら存在するということです。わかりやすいものとして、三種の神器の一つである草薙剣は、宗教に係わって信仰の対象になっていなければ、その上の層で皇位を象徴することはありません。
それぞれが繋がり合っているところに日本の刀剣思想の特徴があるのですが、そのもっとも根本にあるのが、草薙剣や韴霊剣に代表される信仰・宗教に係わる刀剣観です。これなくして日本の刀剣思想は成り立ちません。
3、文化性の深さ
信仰・宗教に係わる刀剣観は、日本で独自に生まれ育ってきたものではなく、古代においては、他の多くの文化・文明がそうであったように、中国や朝鮮を含めた東アジアを舞台にした流れの中で育まれてきたものでした。
特に信仰・宗教に係わる刀剣思想のルーツはここにありましたが、本連載で取り扱ったものを中心に図式化したものが図2になります。朝鮮の金庾信伝説から古代道教、そして古代中国春秋時代の呉越地方にまつわる宝剣伝説にまでたどり着けるものでした。紙面の都合上あえてもう一度説明することはしませんが、刀剣の思想にまつわる文化性の深さを端的に表していることが確認できると思います。
4、おわりに
刀剣の思想の起源についてお話ししましたが、これはあくまでもこの思想のルーツであって、その文化性の深さを示すものではありますが、これが剣の技術と係わって中国や朝鮮で成熟してきたということではありません。
既に述べてきましたように、信仰・宗教に係わることや政治・社会制度に係わって、刀剣は古くから、そして東アジアを叉にかけて神聖視されてきましたが、これが武と思想的に係わってくるのは、日本においては中世、日本刀の完成期頃以後で、これが武士が長く世を治めてきたという事情とあいまって、近世期以降成熟していくことになります。
特に先に見たような様々な文化事象に係わる刀剣観が、独立してではなく密に繋がり合いながら、剣の技術をも含めて一つの思想を形成したのは日本独自のものであることは間違いありません。
文化的な広さ、深さ、そして独自性を持つ刀剣の思想は、私たちが世界に誇れる剣道の文化性の一端である、と私は確信しています。
生の原稿が出来上がるにつれ、ごく近しい人達に読んでもらうたびに、嘘くさい話だとの指摘をうけながらの連載でありましたが、大凡要約するとこういった道筋になるということで、書いてきたことについては細かな部分についても随分と神経を使って裏を取ってきたつもりですし、また大筋は研究論文として論証してきたことばかりです。
公に問う以上、ある程度の自信をもってお話しさせて頂きましたが、立つ位置を変えれば別の顔がみえてくることは当たり前であり、又これが楽しみでもあります。ご批判を頂ければ幸いです。
以上、長きにわたり稚拙な論考にお付き合い下さいましたこと、心より感謝申し上げる次第です。
(おわり)
*この『刀剣の思想』は、2003年9月〜2004年8月まで12回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。