社会人になった時、真先に言われたのがこの言葉だった。学校では理論中心に教わり、知識は身につけているが、現場の状態を知らず、経験もないので、新入社員は実践出来ない。
入社後、最初の仕事は工場用地の買収だった。地主はすべてお百姓さん。
朝から晩まで現地へ行って、承諾の印をもらうためにお百姓さんたちを訪問した。丸1年たった頃には、農業のこと、村落のこと、マッカーサーの農地解放の影響など沢山の知識を得て、ダイコンの収穫や売りさばきまで経験した。
どの職場でも言われたが、特に生産関係の職場では、事務所で仕事をしていると「何をサボっとる、はよ現場に行かんか」と叱られた。
生産現場では、人と機械と部品が色々に組み合わされて製品ができて来る。この組み合わせの課程で、品質・安全・生産性などに違いが出て来る。それらを改善するのが私の仕事だった。
毎日現場へ出てあれこれ仕事をしていると、少しずつ現場が見えて来る。働いている人と一緒に仕事をしてみると大変勉強になる。
事務所で管理している連中は現場に出ず、事務所から「在庫を減らせ」「人が多い」「不良ゼロを!」などと言うが、それぞれすぐには減らせない理由があり、それは現場で一緒にやらないとわからない。実際に身体でわかるのが、現場のありがたさである。
私は本来事務屋だったので、製造の技術は分からなかったが、この仕事を命じられたので現場に飛び込んだ。
現場では、まず問題を見つけること、その「眼」を養うことが第1。次にこの問題がなぜ起こっているのか原因をつかむ。3番目はこれをどう直すか考える、というような順で仕事が進む。
やってみると第3番目だけは、技術の専門家に相談しないと進まない。だから問題の状況を説明し、欲しい結果を示して「頼む」と言うと、彼らはすぐ手を打ってくれる。
大変うまくチームワークが進む。事務屋でも、心配することはなかった。
ある時、工場内を歩いていると突然、作りかけのクルマのフェンダーが飛んできた。同時に「こんなシゴトやってられるか? もういやだ」と投げた作業者の大声が…。すぐ関係スタッフが集まって作業者に何が起こったか、と聞くと「作業やってみろ」と言うだけ。
我々でやってみて気がついた。天井から吊り下げられている溶接ガンに対してフェンダーをはめる設備が真下にない── 。だから作業は毎回重たいガンをひっぱりながら溶接しなければならない。それも3分に1回ずつ。
昼休みの時間を使ってすぐに位置を直した。作業がうんと楽になった。翌日、また同じ所を歩いていると、あの作業者から声がかかった。「あのサー、これも困っているんだ。直してくれないかなあ」。一旦信頼されると、次々に声がかかり、あっ、働いている人たちは皆、1つや2つの困っていることがあるんだなァ」という思いに至る。
かつて先輩から「本当に良い技術員は、真っすぐに工場内を歩けない。あちこちから、見てくれ、直してくれ、という声がかかるからだ」と、聞いたことがある。
どこへ行っても、まず現場へ行けと言われたが、ありがたいことに何の抵抗もなかった。
これは剣道のお陰だと思う。殆ど毎日道場へ通ったから、現場へ出るのも心は同じようなものなのだろう。そのお陰で実務への理解も早かった。
剣道人は道場の稽古だけではなく、雑巾がけ、道着、防具の片付け、風呂で先輩の背中流し、その他多くの〝修行〟を若いうちにやらされる。このような経験が〝現場〟への抵抗感をなくするのだろうか。
そう言えば、あのアインシュタインも次のように言っている、と聞いた。
「ものごとは経験することによって、本当に理解できる」
矢張り、「まず、現場へ出よ」は、どこの世界でも大切なことなのかもしれない。
全日本剣道連盟会長
国際剣道連盟会長
張 富士夫
Fujio CHO