今年始めの1月8日、日本武道館の武道始め・鏡開きに出席した。最初のご挨拶で高村正彦館長から「武道は礼に始まり、礼に終わる日本の文化です。政府は武道教育の仕組みを作りますが、それに魂を入れるのは(武道家の)皆さんです」という言葉を頂いた。
礼については、立場やお仕事によって、考えも色々あるように感ずるが、少し自分の経験を申し上げてみたい。高校1年になった4月、私は剣道を習い始めた。私の母校・梅が丘中学(東京都世田谷区)の隣にある北沢警察署でスタートした。当時は、終戦後6年目。マッカーサー元帥が日本に駐在しておりGHQ(連合軍総司令部)が日本を統治していた時期だった。
学校剣道は禁止、私的道場も殆どない状態で、剣道をやりたい人は、皆警察の道場へ通った。そういう中で、私は毎日授業が終わると電車で東松原駅まで乗って北沢署に通っていた。先生は杉本師範。毎日先生の面を打ってぶつかる「ぶつかり稽古」で鍛えていただいた。通い始めて1年くらいたった或る日、私の竹刀が割れて先生の面の中へ入り、先生の眉間を突いた。大騒ぎとなり、すぐ救急車が呼ばれ、先生は病院へ行かれた。
呆然としている私に、近所の食堂の主人でやはり稽古に来ておられた田辺先生(五段)が声をかけて下さった。「いいか、一旦道場に立ち竹刀を合わせたら何が起こるかわからないんだぞ。怪我をしたり不自由になることだって考えられる。でも相手に文句は言わない。それだけの覚悟をして皆道場に立っているんだ」。そして次の言葉、「だから、礼が大切なんだ」。
この言葉は形だけの「あいさつ」とは全く違う意味合いで私に迫ってきた。
それまでも道場に入れば、正面に一礼、稽古をつけてもらう時も先生に一礼と「お願いします」の一言。終われば「ありがとうございました」と言って一礼ということでやっていたが、田辺先生の言っておられる「礼」は自分の思っている「礼」とは全く違う。
稽古に入る前に相手に一礼、その時「宜しくお願いします。稽古中何が起きても文句は言いません。覚悟して十分気を引き締め注意してかかって行きます。宜しくお願い申し上げます」と、声を出さず相手に申し上げよ── そのように解釈した。それからは、道場に入る時から気を引き締め他の人の稽古も学ぶつもりで、姿勢を正して見るようになった。
更に社会に出てからは「礼」について、もっと色々考えるようになった。自分を慎むと同時に、相手のことを思いやる。公共の場所をきれいに保つ。はきものはキチンと揃える。細い道や出入り口では、できるだけ譲る。必ずありがとうと言う。頭を下げる等々。これらはみな「礼」に入るのではないか。
さらに経済学者の竹中平蔵氏がある雑誌に書いておられたが、「相手の主張に耳を貸しつつ建設的な議論を進める―これが基本的なマナー(礼節)です」と。ここでも「礼」が出てくる。このように社会に出ても66年前の田辺先生の言葉が頭の中によみがえる。全てをきちんとやれる訳ではないが、社会も道場と思って出来るだけ実行するよう心掛けてきた。
杉本師範には、あれから6・7年後に何度かお会いした。警視庁の師範の先生方と、関東各大学の代表者(3・4年生)との合同稽古の場である。杉本先生を見つけると、私は真っ先に走り寄る。すると先生は、眉間のキズを指してニヤリと笑われる。私はそこで「ハハーツ」と最敬礼。今思い出しても何だか心が和む。
2年ほど前、会社関係の勉強会で礼儀作法の先生を招いてお話を聞いた。そこで色々な場面での立ち居振る舞いについて教わった。永い歴史の中で出来上がったものだと感じた。全てのお話と作法の紹介が終わって、私は質問した。
「作法という言い方と礼儀作法という言い方がありますが、なにか違うのでしょうか」。これに対して先生は次のように答えられた。「お作法に心がこもっているのが礼儀作法です」と。まだまだ「礼」について考え続けていかねば、と思っている。
全日本剣道連盟会長
国際剣道連盟会長
張 富士夫
Fujio CHO