年明けての1月18日午後、東京・九段会館において、「剣道文化講演会」が開催され、全国各地から参集された方々も集め、盛会裡に終えることができました。講演会は設立50周年記念行事の最後のものとなり、あといくつかの出版計画を残すだけとなります。
その中で「剣道の歴史」は完成し、配本段階におります。このあと「全剣連五十年史」と、「剣窓復刻版」、「高段者名簿」を残しますが、いずれも作業中でつぎつぎと完成の運びになります。
さてこの時期全剣連は新年度への始動体制に入ります。2月5日には各剣連理事長・専務理事との会議を開き、記念行事などの報告、新年度事業の構想説明、打ち合わせなどの場を持ちました。
2月13日から3日間には、北本市の解脱会研修センターに、27人の研究員に全剣連執行部のメンバーが加わり、剣道研究会を開催、新しい年度の重点となる指導、講習事業の準備の総仕上げを行います。新年度は繰り返し申し上げていますが、ポスト50年の初年度であり、よきスタートを切るための万全の体制を構築します。
一昨年秋に専門委員会にいくつかの部会を設けて取り組んだ、作業の成果が相次いで纏まり、作業を実質的に終えました。以下それぞれの内容を概観します。
(1)剣道指導法
先ずは指導部会で取り組んできた剣道指導法です。ここでは初心者、初級者(三段以下)、中級者(四、五段)、上級者(六段以上)の区分に基づいて、指導事項の、共通事項としての準備運動、整理運動のほか、それぞれ礼法、基本動作、応用動作、稽古の区分のもとに、指導内容および指導上の留意点を掲げています。また稽古、試合などにおこる事故、障害への対応法については、指導者すべてが心得ておくべきこととして、応急措置、心肺蘇生法、一般救命処置、剣道における熱中症の予防と対処について、ウオーミングアップとクーリングダウン、ストレッチ体操の項目ごとに、内容を盛り込んだのは、講習資料のヒットなることでしょう。
(2)木刀による剣道基本技稽古法
一昨年まで2年にわたり、「剣道基本形」(仮称)の名で研究、立案してきた成果を、一昨年来指導部会で引き継いで、純粋な初級者指導のためのものとして内容を見直し、「木刀による剣道基本技稽古法」の名のもとに取り纏めました。全剣連の新製品といえるもので、すでに11月2日の日本武道館での記念大会での少年剣道指導の実演として、木更津市百錬館の少年たちによって披露され、大方の注目を集めました。制定の趣旨は「剣道の基本技術を習得させるため、「竹刀は日本刀」であるとの観念を基とし、木刀を使用して「刀法の原理・理合」「作法の規範」を理解させるととともに、適正な対人的技能を中心に技を精選して指導するものとした」としています。稽古法は、基本1の「一本打ちの技」にはじまり、「打ち落とし技」の基本9に終わる構成になっています。
(3)日本剣道形解説資料
手を付けると議論の多い、日本剣道形の解説書ですが、これは大正初年に制定され、その後昭和8年の大日本武徳会による解説書が原本とされていますが、その後全剣連が取り組み、昭和56年に解説書を纏めていますが、内容において、曖昧なところ、食い違いと見られたり、行き過ぎた解釈を加えていると思われる点を見直し、整理して原本に忠実なものを作ろうとして部会で取り組んで来たもので、ようやく成案を得ました。
(4)「剣道試合・審判運営の手引き」
試合・審判委員会で作成した「剣道試合・審判運営の手引き」が昨年10 月に刊行されています。この資料への反響は大きく、すでに版を重ねて1万部を販売しております。
さて以上の成案を得た諸資料は、今後いくつかの会議に付議しますが、微調整はあっても本決まりになり、講習会資料に収録され、来年度から活用され効果を挙げることを期待しています。
来年度の講習会資料は、内容だけでなく、体裁などにも工夫し、出版物としても優れたものとして世に問うことにします。最後に資料作成に、これまでに無いと言える程尽力いただいた、関係委員のご努力に謝意を表し、また作業に加わった事務局員の労も夛とするものです。
審査員数・審査会場の体制の整備などの規則改正案固まる
新規則施行から4年目を迎えるに当たり、審査運営の改善を図るための規則改正の執行部案が以下のように固まりました。
(1)剣道七段から四段までの実技審査の審査員数を、7人から6人に改め、4人の合意を以て合格とします。また錬士、教士の審査も同様にします。剣道八段の二次審査は、これまでの10人を9人にし、6人の合意を以て合格とします。
審査員の人数は、戦後の全剣連設立初期から、7人で行い、5人の合意で合格という方式でした。しかしこの比率は世の常識から見て高いものでした。新規則により、これまでと異なり、審査を基準に基づいて行うことにしたこと、審査員の選考を厳格にする体制ができたことから、これまでの審査の実績も検証の上、世上の厳しい合格水準である3分の2に改めて差し支えないものと判断しました。
(2)非違行為などで、称号・段位の返上、剥奪、などの処分について、行猶予といえる制度を設け、また復活の手続きを定めます。
(3)審査の実施に当たり、会場の運営、管理を適切に行うため、審査会場ごとに審査委員長を、また審査場に主任を指名することなどを定めます。これは審査運営の万全を期する他、事故などの不測の事態に備えるものです。
改正は居合道、杖道にも適用し、審議会に諮った上、3月の理事会、評議員会で審議、決定の上新年度からの実施を予定します。
昭和51年にはじまり、26回にわたって続けられた、犬山市明治村での八段大会は、主催者の事情で前回をもって打ち切られました。長年にわたり独自に続けてこられた明治村の、剣道振興のためのご尽力に対し、全剣連は最後となる大会に些かの援助を行うとともに、50周年記念式典において表彰させて戴きました。
この大会は唯一の剣道八段優勝大会であり、全剣連はこれを引き継ぐ形で続けることにしました。大会には地元愛知県剣連が、共催の名で援助してきており、今後も主管の立場で協力願うことにし、従来と同時期に開催することになり、全剣連主催の第1回大会を、4月13日に笠寺の名古屋市総合体育館で行います。
形式はこれまでを継承し、32名のトーナメント試合とします。会場は便利ですが、観客収容力の少ないのが気掛かりです。出場選手は本誌がお手元に届く頃には決まりますが、試合結果とともにホームページでご承知ください。よい大会になることを念願します。
第1部は大阪大学杉江正敏氏による「剣道理念の形成と無刀流」の講演です。幕臣であった山岡鉄舟は、東征軍が江戸に進撃してきた際、勝海舟の命令で乗り込み、講和の下拵えの折衝をするという役割を果たした人物です。その後明治政府に仕えましたが、続けてきた剣と禅の修行を通じ、「心の外に刀無し」と唱え、無刀流の開祖になり、四ッ谷の自宅に春風館を開設しました。荒稽古でも知られれていますが、多くの名士が集まり修業しました。
無刀流は一般より短い三尺二寸の竹刀を用い、試合は重視せず、技と心の修業を重視して、戦前までかなり広く行われていました。明治後期に、学校教育に剣道を正課として取り入れようとして、多くの方が運動しましたが、その中心的役割を果たした人の多くは、鉄舟の門人だったとのことです。
無刀流の思想は戦後も伝えられ、全剣連の剣道理念の形成にも影響を及ぼしました。制定当時の全剣連会長の石田和外氏は、無刀流の流祖を継がれた方でしたが、偶然ではなかったと言えましょう。
杉江氏は今回出版の「剣道の歴史」の編集企画部長として尽力されました。その経過での苦心談にも及びましたが、気と心と体の一体化を目指す、無刀流の思想はこの本でご覧ください。
さて第2部の竹本忠雄の「世界はサムライを待っている」は日本人を叱咤する内容で、聴衆に感銘を与えました。第3部のビデオ「再建から発展へ」は、剣道と全剣連の歩みを纏めた、記録ビデオで、記念事業としての苦心の作で好評でした。
さてこの講演会、平成7年に行って以来の8年ぶりですが、継続を望む声に応え、今後も継続する方向で考えます。