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立春を過ぎて日差しには春の明るさが感じられ、東京西郊の梅の花も綻び始めましたが、全国的にはなお厳しい冬の気候が続いているようで、皆様のご健勝を念じます。全剣連では新年度に備えた活動が矢継ぎ早に始まっています。
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八段審査の実施方法を一部改正する執行部案が固まり、審議の手順を経て、3月の理事会・評議員会に付議して決定、5月の審査会から実施になります。内容は八段だけ特別扱いになっていた審査方法を、すでに改正されている六、七段並に改めるものです。
平成12年の全面改正に当たり八段位は実技面での最高位ということで、学科、剣道形(剣道のみ)の審査に当たり講習を行って後に審査する方法を取りました。しかしこれは七段以下の審査との整合性を欠くものと批判がありました。
このたびの改正では、剣道形審査は七段以下と同じく実技合格者につき、日を改めることなく直ちに行うことになります。また学科審査は八段においても行わないことになります。
講習を経て実力が高められた状態で審査を行うという奨励的考え方で、審査会を講習会のあとに行っていた居合道、杖道の六、七段審査のこれまでの慣行は、すでに改められています。平素の実力で審査するために講習の前に審査会を持っていきました。剣道形審査も同様の考えで講習を省いて行うことになります。
八段の学科審査も省くことになりますが、八段だけに学科審査を残す必要はないということです。教養に関することは段位審査にかかわらず剣道人の心構として平素から心掛けて身に付けておくべきとの考えです。制度としては称号審査においてこの点も見ることになります。
剣道八段の形審査で不合格になったものについては、下の段の場合と同じ、一年以内の再受審の道を認めています。
つぎに六、七段の審査員の資格は、これまでただ八段位を持つ者とされていましたが、教士または範士の資格を条件として加えます。五段以下の審査員の資格も今後検討の上、段位だけでなく称号の受有の条件を加える予定です。
昨年全剣連は、七、八段審査料、社会体育指導員講習受講料の値下げに踏み切り、剣道愛好者の負担軽減を図りました。称号受審料については手を付けておりませんでしたが、段位審査との均衡を図るため値下げを行うことにしており、本年秋の称号審査から実施するよう決定の予定です。この際各剣連が候補者を全剣連に推薦するに当たって期待されている、予備調査や講習などへの事務的負担に報いるために、受審料の一部を剣連に還付することを考えています。
4月11日に名古屋市中村スポーツセンターで行われる第2回大会の出場選手は、9名の高段の選考委員により選考が行われました。前回の大会結果などによる各方面の意見に基づき、今回は選手の年齢基準を前回より高め上限を65才未満とし、また八段位取得後5年以上の剣士の中から選考しました。そして同一都府からの出場者を4名以内とすること、地域をも考慮し推薦上位者の中からて補欠者も含めて選考を行い、32名の剣士が決定されました。組み合わせ作成後、4月号に発表されます。文字どおり円熟した日本の実力者によるレベルの高い試合が展開されることを期待しています。
まずは1月23日より開かれた強化訓練講習会です。昨年7月のグラスコーでの世界大会を終えてからはじめての新しいメンバーを加えた28名の精鋭による講習会です。新しい担当役員のもと、強化訓練の全体像についてなお模索中といえる中で、ともかくも若手精鋭をすぐっての訓練は見応えのあるものでした。女子や学生、高校生などは今回の対象から除いてのスタートでした。それらの対象者に対してどのような体制で進めていくか早急に方針を固めて実行に移ることが大事です。
単に全剣連が集合をかけて、合同で行うのは効果や費用の面で恐らく壁にぶつかることでしょう。レベルの高い日本剣道の伝承と発展を図るために、それぞれの組織団体と協力のもとに、重層的また複合的の強化体制を築くことが今期待されています。
つぎのは1月30日から3日間行われた社会体育指導者資格認定の中級講習会です。初級取得後4年を経て受講資格を得るこの講習会は、平成11年以来回を重ねて14回目となりました。地域の指導者としての力量を間違いなく認められるレベルの方々です。今回は106名の方が受講され、それぞれ熱心に受講、若干の保留者が出たのは残念でしたが無事終了。累計の中級指導者の数はついに1千人の大台に乗りました。この積み上げられた人材は国内各地での指導に当たり、無視できない威力を示して貰えましょう。
西山団長、小林監督以下選手一同が、さる2月5日に、「スポーツ功労者顕彰及び国際競技大会優秀者表彰」という長い名前の表彰を受け、文部科学大臣より顕彰状、表彰状及び記念品を頂戴しました。この表彰は剣道単独ではなく、20以上の各種スポーツ大会で好成績を収めた選手100名、指導者80名余りの、いわば十把一絡げのもので、必ずしも全員が出席していませんが、功労者の中で多数を占める剣道関係者はほとんどが出席して、剣道界の熱意と重みを示すしました。表彰式のあと選手団関係者は会合を持ち、活動の区切りを付けることができました。
たまたま表彰式の翌日の夜、世界大会において責任を果たした栄花選手の活動を中心に取り上げた、NHKのテレビ番組「人間ドキュメントーーただ一撃にかける」の再放送がありました。これはこの作品が芸術祭で優秀賞を受けたことによる放送でした。作品は本誌で予告されているように、ビデオ、DVDとして3月末から全剣連で発売されます。
少し長い断片---第200回を迎えた「まど」を振り返る
昭和62年8月号に「まど」の前身である「全剣連の窓から」が登場してから18年目に、第200回を迎えました。当時は専務理事として取り組み、現在まで続けられたのは、まずは大方のご支援を戴いてきたこと、またこの間大きな故障・支障がなかったことも幸せだったと思います。
さて前にも書いたと思いますが、スタートの時期のいきさつに触れます。その2年前に専務理事に就任して取り組んだ仕事の一つが広報活動の充実でした。機関誌「全剣連広報」が出てはいましたが、手不足でもあり、年数回の不定期発行に止どまり、内容も海外紀行や追悼記事ばかりが目立つものでした。何とかこれを充実させたいと思い、62年度よりの月刊化を提案し、6月号「通算70号」より踏み切りました。
記事を集める余裕がない実態から、推進者である私も毎月書くからということで関係者は納得、「全剣連連の窓から」として、同年8月号「通算72号」から始めたものが今日まで続いているわけで、現在の「まど」はいわば月刊化の副産物でもあります。このころまでの実態を当時から参画してこられた松永政美氏が、昨年刊行の「剣窓スペシアル」に掲載されていますのでご覧ください。さて「全剣連広報」は月刊化されましたが、量的には精々20ページが良いところで、10ページ台が普通でした。その後充実の道を進みましたが、単なる全剣連機関誌から一般を対象とした月刊誌に発展させ、これと共に郵便料金も安くできる第三種郵便物の認可を得ることを目指し、平成3年2月号より、誌名を現在の「剣窓」に改め、同年4月に第三種郵便物としての認可を得ました。
さて誌名の変更の前月の3年1月号から「全剣連の窓から」を「まど」に改題して現在に至っています。量的には当初三年間は1ページ、平成に入ってから現在のような2ページ建てにしました。通算の回数を毎月入れるようにしたのは案外最近で、平成10年8月号の第133回からです。
さて振り返って第100回の「まど」を見ると、平成7年11月号で終戦50年の年でした。内容には今日まで続けられて大きく発展した、第1回社会体育指導員講習会のこと、また初の剣道功労賞・有功賞の受賞者の決定を扱っており、一昔前が思い出されます。さてこれまでの「全剣連の窓、まど」を合本にすると、三百五十ページを超えるはずです。よく駄文を綴らせて貰ったと思いますが、読んで激励して戴いた方に改めてお礼申し上げます。