戦前の学校教育は、義務教育の小学校を卒業して進む中学校(男子)、女学校(女子)、実業学校などの上に、中学校四年または五年を終了して進む高等学校・専門学校へのコースがありました。
専門学校は卒業後社会に出ますが、高等学校や大学予科は卒業後、さらに帝国大学その他の大学に進みます。
年齢的には、現在の高校の上級から、大学の教養過程の生徒程度になります。この年代は青年としての成長期にあり、運動も活発に行われ、剣道はとくに盛んで、レベルも高かったものです。
戦後の学制改革により無くなった旧高専校で行われていた剣道大会をOBが集まって復活し、剣を交えて旧交を暖めようということで始めたのが、旧制高専剣道大会です。
世の中も落ち着き、剣道も盛んになった昭和50年に各学校のOB有志が相談し5月25日(土)に第1回大会を開く運びとなりました。チームは3人1組で行うことにし、各校2チームまで出られることにしました。会場は虎の門の日本鉱業体育館を拝借し、個人試合も行いましたが、メインのトーナメントには参加校13、18チームが参加し、昔の学校の名で覇を争い、第四高校(金沢)が優勝しました。
戦後30年の時で、参加剣士の年齢は50歳代が中心。この大会は大方の賛同を得て、参加者も増加、40チーム参加の年もありました。懇親会で大いに気勢を上げ、往年の友情を呼び起こし、剣道の振興にも効果を上げました。
こうして回を重ねて35回に至りましたが、高齢化も進み団体戦への参加が5チームとなった昨年をもって打ち止めといたし、本年6月12日(土)に解散の催しを行い幕を引きました。
全剣連の行事でなく有志による運営で行ってきましたが、意義のある催しであったと思い、取り敢えず紹介させて頂きました。この記事次号に続けます。
(写真はいずれも筆者写す)
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