大会などの時披露される日本剣道形、また審査会においては必ず科目として課せられる日本剣道形、これは竹刀剣術以前に各流派ごとに修錬されていた剣術の形から選びだしたものを、竹刀剣術の指導、修錬、教育に役立つよう一本化したシリーズとしてまとめたものといえます。
作成された時期は大日本武徳会が設立され、武道振興の流れの中、剣術を広く、国民に普及するための中学校の正課として採用する気運が高まった明治の末のことです。
日露戦争が終結した時期に、統一した剣術形を大日本武徳会において作成しようとする方針が固まり、明治39年(1906)に三本の剣術形にまとめました。しかしこの案には異論も多く、広く採用する流れになりませんでした。そこで大日本武徳会では剣術形を再調査することにし、明治44年(1911)12月制定委員25名から成る委員会に、草案の作成を委託しました。
5名の主査委員によって検討が進められ草案が成り、大正元年(1912)10月16日に多くの論議を経て、太刀七本、小太刀三本合計十本の大日本帝国剣道形が決定されました。その後、大正6年の加註、昭和8年の増補加註を経て、戦後にいたりました。
戦後は全剣連が、昭和56年に文章表現などを改め『日本剣道形解説書』を作成し、これを基本として普及を進めています。
明治の後半の各流派が存在した時期に、多くの論議を経て一本化した形をまとめたのは、剣術から剣道への進化を可能にし、剣道教育の普及・進展の基礎を作った大日本武徳会の業績といえましょう。現行の日本剣道形をまとめるための方針決定、さらに制定されて100年になります。
中学校体育に武道が正課となる来年は、統一した剣道形がまとめられて100年でもあり、この間の歴史を顧みる一つのチャンスとなりましょう。
次号に続けて取り上げます。
|