57回の歴史を重ねるこの大会、山形県での開催は初めてとなり、9月18日(日)に山形市から南の温泉地で名高い上山市の体育文化センターへ、全国から選ばれた剣豪が集いました。
この大会伝統的に日本を東西に別けての対抗試合の形を取って来ていますが、戦前に行われた形式を引き継いで戦後始められた時期と異なり、人材の移動・交流が広く行われる現在、以前は目立った剣風の差も薄れました。2年連続して出場できない内規のもと東西の選考委員会で選出され選手は、剣士の面目を懸けて負けられない雰囲気の中で試合が進められました。
勝負としては通算すれば西が優勢ですが、この10年はほぼ互角の展開です。しかし東軍に西日本出身者が11名もいる反面、西軍には東日本出身者が見られないという状況は、東西というより所属剣連の東西対抗の色が濃くなっているというべきでしょう。
さて大会は、5剣士の女子対抗戦で始まりますが、大将同士の勝負となり、西軍石田真理子(大阪)が、東軍大塚真由美(神奈川)を下して西軍に3連勝をもたらしました。
続く男子の試合は、3名の六段剣士の対戦から始まり、これに続く七段の試合は、毎回若手同士の内容ある試合が繰り広げられますが、この中で満場の注目を受けたのは、19将戦の石田洋二(大阪)―宮崎史裕(神奈川)の試合でした。過去に実績を持つ両選手による好試合が展開されましたが、大会を通じて最長の14分を越える延長試合の末、宮崎の面で勝負が決まりました。この試合優秀試合賞の表彰を受けましたが、相応しい内容でした。
この辺りまで試合展開は例年通り東が西を押さえ、七段の試合を終えて、4ポイントの差をつけて前半を終え、今年は東が勝つと見られた展開でした。
ところが八段戦が始まると、東軍は14将から西軍の8連勝という展開で圧倒され、4将戦で西軍の4連勝が決まりました。なんとも戦評もできない展開でしたが、範士の部の立派な試合で救われた印象でした。
この大会、試合時間を10分として行っていますが、35試合中一本で勝ち負けが決まったのは、10試合でその他は三本の勝負であり、試合時間に制限されること少なく、思う存分の勝負が展開されたという意味で、10分の試合時間の制度は効果を上げていると見ます。
運営などにお骨折り頂いた山形県剣連、ほかのご後援頂いた諸機関にお礼申し上げます
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