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平成23年12月号 第293回

(財)全日本剣道連盟 会長 武安義光

  秋の好季節中、剣道界では次々と行事が進められます。日本武道館に満員の観客を集めた文化の日の全日本剣道選手権大会は、その盛り上がりの頂点となります。月の後半には高段者を対象とした大型審査会が展開され、晩秋の山場を彩ります。

  不安定の政界は、当面の補正予算は片付きますが、直接に日本経済に関係するTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への交渉参加問題では、関税撤廃で大きな影響が起こることを懸念する農業関係者など反対する勢力の活動をどう捌いて行くかの課題に直面します。

  さらに日本への波及が心配される、欧州のEU参加国の財政不安に始まる混乱、予断を許さぬ円高の動向など、日本経済の命運を左右する国際経済問題への対応など課題にこと欠かぬ状況に、政府は目先の事象に惑わず腹を据えて対応してもらいたいものです。


充実した内容の試合が展開された全日本剣道選手権大会

  59回の歴史を重ねるこの大会、総括すれば地道・堅実に結果が出た大会であったといえます。特に後半戦では内容のある試合が続き、見る人を満足させたことと思います。

  決勝戦は前大会の優勝者高鍋 進(神奈川県)が、東永幸浩(埼玉県)を下して連続優勝を飾りました。これは12年前に師匠というべき宮崎正裕だけが行った二度目の連続優勝が、同じ神奈川県警の高鍋によって達成されたわけで特筆すべきことでしょう。

  ベスト4に残った選手はいずれもベテラン、年齢も30歳台の警察官。新人・若手が食い込むことができなかった展開は久し振りです。またこの4名が東京都と周辺3県の選出選手であり、関東以外の選手が残らなかったのも珍しいことですが、選手の出身地を見るといずれも九州であることに気付きます。この他の優秀選手に選ばれた選手の出身地を見ると、さらに正代・大石・西村の九州組がおります。九州の剣道人材供給地の力が目立った結果でした。

  若手では今回2名の学生が予選を突破して出場し、注目されました。この内、北條将徳(栃木県―日大)は1回戦で敗れましたが、西村龍太郎(佐賀県―早大)は初出場の選手2名を下し、3回戦に進み高鍋と対戦、善戦の末敗退しましたが、優秀選手賞を授与される健闘でした。いずれも今後の成長を期待します。

  今回の試合展開では、第1回戦での長い延長の試合が目立ちました。第1試合場・第2試合の40分を筆頭に、20分以上の試合が7を数えるなど、長い試合が続いて大会の進行に遅れを来し、本来第4回戦から、1試合場で試合時間を10分として行うべきところを、そのまま2試合場で続けることにしました。

  試合に時間をかけるのは、一概に非難すべきことではありませんが、慎重になり過ぎる傾向は問題というべきでしょう。

  決め技では決勝戦での高鍋のツキが見事でした。高鍋は4回戦でもツキを決めており、第三位の岩下智久も3・4回戦でツキを決めています。大きい大会でツキが何本も決まるのは珍しく、印象に残りました。また決勝戦でのこの技が綺麗に写真となって新聞紙上に出ているのはカメラマンの腕の見せ所だったと思います。

  さて大会は熱心な観客の存在によって盛り上がります。今年は昨年を上回る観客に来場頂きました。入場券は各階すべて売り切れの状態であったことは、主催者としてありがたいことでした。

  またNHKテレビを通じて、全国の方が観戦されましたが、このほかに全剣連はホームページ以外のメディアも用意して、内外に情報を提供しました。これらにアクセスした人は合計約40万件で、昨年を30%もアップして、海外を含め多くの方に観戦して頂きました。情報関係の方を含め、多くの関係者にご尽力頂いた今回の大会でした。

長い試合が目立った1回戦(筆者写す)
長い試合が目立った1回戦(筆者写す)

久方振り大阪での全日本杖道大会

  巨大な舞洲アリーナを会場にしての全日本杖道大会が10月16日(日)に開催されました。全国の愛好者が技を競い、修錬の成果を示し合い、久闊を叙する和やかな大会が繰り広げられました。


59回目の全日本学生剣道優勝大会

  久し振りに全日本学生剣道優勝大会を拝見にと、10月23日(日)午後、日本武道館に行きましたが、やっと決勝戦に間に合いました。期待した筑波大と中央大の対戦でしたが、驚いたのは全員引き分けで、代表戦で優勝が決まるという展開でした。記録を見ると優勝した筑波大は、第3回戦で早稲田大に同じような勝ち方をしています。これらについての論評は避けますが、日本の剣道の将来が心配になる、満たされぬ思いで帰りました。


弘前での日本古武道演武大会

  11月6日(日)、第35回日本古武道演武大会が築城400年行事で賑わう弘前市で開催され、35の武道の演武が披露されました。折しも弘前公園は紅葉に彩られ、菊人形も飾られて錦秋の良さを示す環境で、素晴らしい青森県武道館での大会でした。


石原勝利範士逝去される

  熊本剣連会長、全剣連審議員などを歴任され、平成17年に剣道功労賞を受賞された石原勝利範士が10月30日に亡くなられました。剣道人材多数を輩出している熊本県の剣道振興に長年功績を上げられました。ご冥福を祈ります。


続・日本剣道形の成立を振り返る

  これまで述べましたように、武徳会は中学校の正課に剣道が取り入れられることが決まり、統一された形をまとめる必要に迫られ、明治44年12月に剣道形調査会を発足させました。そして翌年に入り5名の主査グループによる立案作業が進められ、明治45年6月26日に主査会を開催し、最終決定となった太刀七本、小太刀三本の草案を決定し、7月10日付を以て形草案報告書を調査会に提出しました。

  これが調査会に諮られ決定に至りますが、この間主査グループにおいて打ち合わせ骨格が決められ草案をまとめるにあたっては、相当な論議があり、苦労があったはずですが、これについての資料は残されていません。作業に主査として参加した高野佐三郎は、著書の中で次のように述べていますので、推察の材料になりましょう。現代文に改めて引用します。

  「これまで各流各学校等で選定した形はその数、数百に上り、往々にして形としての意義を没却するだけでなく、剣道教授の上で不便が少なくなかった。この大日本帝国剣道形は武徳会から命ぜられた主査5人が、全国各大家に諮って選定したもので、従来の武徳会剣道形、文部省選定剣道形は廃止し、この剣道形を以てすることになった。これまでの形は形としてのみ用いられ、仕合に応用できないものが多かった。この新しい形は、十本に過ぎないがこれを活用すれば何本にも応用することができよう。実際の仕合に応用し得ることを主眼にしてこれを制定したのである」

  この案に基づいて委員会を7月29日に開催する予定でしたが、折悪しく明治天皇のご不例があり延期されました。(30日に崩御され、大正天皇が即位)

  改めて大正元年10月16日委員会を京都帝大学生集会所で開催、主査の策定した案を審議しました。この際大浦兼武委員長は「この委員会は今後の剣道の教育を進めるための統一された形を制定しょうとするものである。形は人の工夫により策定するものであるから、万人に異論のない完全なものを作るのは不可能であり、多数の専門家が認めるものを以て是認するほか無い。腹蔵無く意見を交換したのち一致しないものは、多数決により委員会の意見とせざるを得ない。諸君は合議体の意思となったことについてはこれを尊重する義務がある」と再び統一された形を作る意志を強調しています。

  主査委員の実演・説明・質疑があり、草案の大体の可否について、委員長が諮った所、満場異義なく承認されました。

  こうして逐条審議に移りました。細かい表現についての意見交換が行われましたが、全般にかかわる2.3点を掲げます。

  原案で折敷とあるのを、蹲踞と改められました。懸声について、ヤー、エー、トーの三声を使うことにしたいという意見がありましたが、採決されヤー、トーの二声に決まっています。また形を行うにあたり。正式には白刃を用い、練習には木刀を用いることを明記しました。その後一本ごとの審議が行われ、実質的に大日本帝国剣道形が固まり、教育の場に普及が進められました。

  その後、大正6年9月(1917年)に加註、さらに昭和8年5月(1933年)に加註増補が行われ、戦後は昭和56年12月に解説書を作成して普及・教育を進めているのはご承知の通りです。


断 片

  秋の大型審査会の受審申込人員が出揃いました。

  剣道六段は、東京・名古屋を合わせて3,300名で昨年並み、剣道七段は合計2,800名で昨年より200名減、剣道八段は2日間を合計して1,800名で微増です。総計で8,000名に及ぶ大審査会です。ご健闘を念じます。昨年より東京の審査会場は変わっていますので御注意ください。


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